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HOI HOI AI’S LIFE 

HOI HOI AI’S LIFE 

部活

部活動

・・・多分ですが、最近の中高生って部活やってないんじゃないかな?
いわゆる”帰宅部”が多い気がします。
その方が放課後、遊べるしね、部活なんて意味ないとか、ダサイとかって
思っているかもしれないし、ちょっと共感する部分もあります。
私の学生生活は勉強よりも部活一筋っていう期間が長かったから、
最近の中高生のように”遊ぶ”ということはまずなかったです。
5時まで部活。その後内緒でバイトしたり、塾に通ったりと
それはそれはハードな生活でした。若さがあったからこそ、成し得たこと
だと思います(笑)ただ、そんなハードでも身体を壊すまでは部活を
辞めようと思ったことはありません。部活動には部活動でしか得られないもの
がたくさんあります。”遊べない”かもしれないけど、見つけられる物もたくさん
あるから、今の中高生達にはぜひぜひ”部活”にハマってみて欲しいと思います♪♪

-小学校の部活-
 小学校5,6年では音楽部にいました。
大きな部活動がなかったのですが、どこかのフィルハーモニーにいたホルン奏者が
音楽の先生だったこともあってか、トランペットが2台だけありました。
結局プラスチックのマウスピースでの練習しかできなかったなあ(苦笑)
でも2週に1度あった、音楽集会では演奏したりもしていたので、
目立ちたがりやの私にはもってこいだったかな?(笑)
新期部員募集で”ドラゴンボール”を演奏したのを覚えています♪♪


-課内活動での部活動-
 中学、高校一環の女子校に進学したのですが、その中学校ではカリキュラムで課内活動と課外活動の
両方で部活動がありました。文部省のカリキュラム要項に従っていた・・という記憶もありますが、
とりあえず中学3年間は必修で週1度、先輩後輩の垣根を越えて部活動をする時間がありました。
 1年では”写真部”にもれてしまい、仕方なく”言葉と遊ぼう部”というのにはいりました。
自分たちでカルタを作ったり、慣用句を集めたり、季語を勉強したりするのです。
なんとなく入ったのですが、元々国語嫌いじゃなくて、むしろ好きなほうなので、結構楽しかったです。
 2年目は念願の”写真部”に入りることができました1週目は撮影。2週目は現像。
そういうローテーションでした。現像室が校内に2箇所あって、
今でも現像室の酸っぱい匂いは忘れられません。
私は何気ない風景が大好きで、今でも時々カメラを持ち出しては歩き回ります。
ただ、中学高校時代は写真に取られるのが好きじゃなかったので、自分が移っている写真が少ない。
大学進学するときに、おもいでは残して置こう!と思ってかなりカメラマンしてました。
今では整理できない写真にうもれています(苦笑)
 3年目は”百人一首クラブ゙”です。
私たちが習っていた国語の先生・・・笠井先生というのですが・・は
毎年冬休みの宿題で百人一首の暗記というのをだすのです。
このころ、大和和紀さんが描いた”あさきゆめみし”に出逢って源氏物語や古典に興味をもって、
百人一首も好きだったので、入りました。クラブ活動でしているというプレッシャーも手伝って、
休み明けの百人一首暗記てすとでは98点だったと思います。
たしか、テスト内容は上の句と下の句を結びつける問題と、下の句を描かせる問題があって
100首全て出題されていました。
今ではすっかりわすれてしまってます。記憶力の退化・・・ですね(苦笑)

-課外活動での部活動-
 中学、高校とずっと吹奏楽部でした。
担当はトロンボーン。高校に入ってからはストリングベースとエレキベース。
はっきりいって部活バカでした。寝ても起きてもブラスバンドのことばかり。
一時期は本当にプロになりたいとも思っていました。
小さな頃からバレエやピアノをやっていた事も手伝ってか、
私は音楽なしじゃいけていけないようです。
ブラスバンドはジャンルに捕らわれずに本当に色々な曲に出会えることが出来たので、
その分私の視野を広めました。
曲ばかりじゃありません。演奏会で武蔵野市までいったり、合宿で長野にいったり。
女子校ながら、コンクールなどでは男子校生ともあえたしね(笑)
私がいた吹奏楽部は決して上手ではありませんでした。
コンクールでの成績も良くありません。まとまった音が出せない、技術的に未熟なバンドでした。
でも勢いと音を楽しむ、合奏を楽しむ。音楽を楽しむ。
そういう迫力やスタンスでは負けないつもりでした
私が進学した大学の吹奏楽部は日本でも有名な技術を持つバンド゙です。
クラシックの演奏などはプロにも負けないでしょう。
でも私は失礼ながら好きになれないのです。ポップスを演奏する彼らの音はキレイすぎて、
楽しくないし、暖かくないのです。とても冷め切った、楽譜に忠実な音なのです。私の演奏も未熟だったし、
バンドも未熟だったけど、暖かくて勢いのある演奏だったと今でも自信があります。
 とりあえず、私はこの吹奏楽部で自信をつけたし、色々なことを学びました。
辛いこともあきらめずに、耐えて頑張れば、それを評価してくれる人が必ず現れると
いうことも実感することができました。
その反面、手を抜き、努力せず傲ってしまったとき、それが顕著にかえってくることもしることができたように思います。
とにかく、私の多くを形づくった場所だと思っています。
いっぱい泣いたし、辛いこともあったけど、そういうことを経験できて良かったと思っています。
今は少し苦い思いでだけれど、それでも輝いていた、頑張っていた私がそこにはいます。
 音を作り上げる。自分の音を持つ。ということは人生にとても似ていると思います。
信じて、それに近づくように努力をする。今の私はそれをわすれてしまっているようです。
あのころの自分に恥ずかしい生き方をしているかもしれない。がんばらなくちゃ。


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